霊能力と超能力26

余談 柳田國男の故郷 

 

24回の先祖霊の話で柳田國男の『先祖の話』を引用しました。

その柳田國男について個人的な思い出があります。

 

柳田は兵庫県の神崎郡福崎町の出身です。いわゆる播州と言われている地域で、播州平野のど真ん中です。

私がそのことを知ったのは40代になってからのことで、要があって柳田の著作を読み始めたときでした。

著作で柳田の出身地が福崎町だと知った時、ある種の感慨が湧いてきました。

 

この町は私の母親の故郷だったのです。

その関係で子供のころよくこの町に遊びに行っていたのですが、その頃はこの町が柳田の故郷だということは全く知りませんでした。柳田の名前も民俗学のことも知らなかったのですから当然です。

 

子どもの頃、私は夏に1か月近くこの町の母親の実家に滞在したこともありました。

幼い妹がいたうえに、母親は商売もしており、家事もこなしていたので、夏になると私と上の妹の世話までできなかったのでしょう。上の妹と私は母親の実家にロングステイさせられてしまったのです。

 

母親の実家は農家で、まだ義理の祖父が健在でした。

かなり大きな家で、母親の弟と末の妹がまだいましたが、農家ですから食料も豊富なうえに、空き部屋がいくつかありましたので、小さな甥と姪が長期間泊まっていても痛くもかゆくもなかったようです。かわいがってくれました。

 

当時、国鉄福崎駅で下車して、祖父の家まで歩いて行っていました。

駅の周りには店がほとんどなく、ましてや祖父の家のあった集落には店は全くありませんでした。

 

私が祖父の実家に長く滞在したのは昭和32年でした。このころはまだ日本には純然たる農村が残っていたのです。ほぼ自給自足に近い生活でした。

本当に田舎でした。私の住んでいた町はそれでも商店が並んでいましたので、駅の前ですら店がほとんどないこの町は本当に田舎だと思いました。世の中にはこんなにも田舎があるのかと子供心に驚きました。

 

昭和の戦後期ですらこのような状態でしたから、柳田國男が生活していた明治期はそれに輪をかけた田舎の農村だったことでしょう。そのような生活環境から柳田の民俗学が生まれたのは分かるような気がしました。

 

私は40代になってある原稿を書くために、柳田の記念館を訪れました。

約30年ぶりに福崎駅に降り立ったとき、なつかしさがこみあげてきましたが、駅の周辺はかなり近代化されていたので、昔の感じはなくなっていました。

 

柳田の記念館は駅の東側にあるのですが、私の母親の実家は西側にありますので、駅をはさんで正反対の場所にありました。それぞれ歩いて20、30分かかりますので、ふたつのエリアを東西に歩くと40、50分かかるでしょう。

 

柳田が「日本一小さな家」と呼んだ生家は、記念館の傍に保存されていました。

実際に見てみると、なるほど小さな家で、ここで両親と兄弟5人(だったと思う)が暮らしていたのかと想像すると、日本という国は誠に貧しかったのだと実感されました。明治人はその貧しさをバックに立ち上がっていったのです。

なにやら最後は司馬遼太郎のようになってまいました。