読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

霊能力と超能力24

余談 お盆と先祖霊

 

お盆になった。

私もお墓参りに出かける。実家はかなり離れた町にあるので、電車に乗って出かけなければならない。

最近は実家に住んでいる人が少なくなったので、お墓参りに出かけられない人が増えており、お墓の後始末といったことも問題になっている。

 

お盆が来るたびに、先祖霊って不思議なものだと思う。

私が記憶しているのは祖父までで、その以前の直系の人は名前を知らない。私の実家のような名もなき貧民の家には、家系図というような御大層なものは残っていないので、先祖と言われても誰のことなのか分からないのだ。

 

しかし、仏壇には私の姓の書かれた家の位牌があり、お墓にもその名を刻んだ石碑がある。

だが、私はお墓参りをするとき、亡くなった母親と記憶している子供のころに亡くなった祖父の霊に参っている感覚でいる。

先祖霊に参っているという意識は乏しい。

 

私は長男なので、子供のころから両親によく先祖のことや家のことを言われたが、先祖と言われてもいったい誰なのか分からないのだから困った。

 

この問題は家と霊について少し知識が増えてくると漠然とだが分かってきた。

 

先祖霊というのは集合霊である。私の家のように始祖が不明な場合、決して始祖を祭っているのではない。

先祖霊というのは、代々の直系の人たちの霊をまとめて祭っている架空の装置なのだろう。

なぜこのようなものを作り出したのかというと、家が関係しているからである。家と財産を継承するためには、それを象徴するものが必要になる。先祖霊はその代表的なものである。

 

家というのは中世に発生した人間の血縁集団の制度であり、それ以前からあったものではない。

家の相続が重大問題だったのは、農業国だった日本では、田畑や財産などを継承することが必要だった。それを受け継ぎ家を守っていくには後継者が必要で、その役割を担ったのは長男だった。

 

しかし、私の実家のように農業をしておらず、財産もないような家では、継承すべきものはボロ屋の他はほとんどない。

継承の必要はなくなり、長男の価値も低下してしまった。家という度は崩壊してしまったのだ。

こういう状況になると、先祖霊もあまり価値がなくなってしまうだろう。

 

霊について考えていると、先祖霊はフィクションであることがさらによく分かってきた。

霊は再生するとすると、ご先祖様のそれぞれの霊は数百年するとこの世に生まれ変わっているわけである。

すると完全な集合霊というものは本来ありえないことになる。

それに霊は個的なもので決して集合霊ではないとすれば、先祖霊は成り立たないことになる。

 

昔の日本人はこういったことを考えなかったのだろうか。だだが先祖霊を信じながら、一方で生まれ変わりということは言っていたのである。再生を決して否定していたのではない。

 

民俗学の始祖、柳田國男は『先祖の話』という本を書いた。柳田はこの本で、私のこの疑問に少しだけ触れている。

柳田は、日本人は死後ある期間再生しなかった霊が先祖としてあの世にとどまると考えていたのだろうと言っている。

しかし説得力に乏しい。

柳田は霊についてよく考えていたとは思えない。

 

先祖のことは今の人はあまり意識しなくなってしまったようだが、考えてみると分からないことばかりで、面白いテーマである。

 

お盆が来ると、お墓詣りに出かける電車の中でいつもこういったことを考えてしまう。