霊能力と超能力20

神社の参り方

 

最近、神社が注目されているようだ。

雑誌でも何度か特集が組まれたし、本も出ている。

 

中には『成功している人はなぜ神社に行くのか』といった本も出ている。読んでないから内容は分からないが、神社に行ったからといって成功するわけではないと思う。成功本はたくさん出ているが、神社まで利用されるようになったのかとあきれてしまった。

 

私は長年ある神社に参っているが、成功とは全く無縁である。神社に参って成功するなら、私などはとっくの昔に成功している。

私は成功したいために神社に参ったことなど一度もない。そのような目的をもって参ることは、欲に駆られていることなので、参り方としては間違っていると思う。

 

さて前回、神社はパワースポットではないということを書いた。パワーを得るために神社に参るのも、神社の利用の仕方としては間違っている。だいたい神社は利用するものではない。

 

神社がスピリチュアルポイントだとかパワースポットだとかいった風潮は、江原啓之あたりが広めたらしい。

江原は神社紀行のシリーズ本を書いている。

スピリチュアリズムという西洋の似非宗教を布教している人間が神社に参るのはお門違いだと思うが、江原は厚顔無恥だからそのようなことは意に介さないようだ。

 

江原の神社参りは変わっている。神社に参って内観するというのだ。

つまり、神社の前で礼拝しながら、自分の中の神を見つめるというのだ。江原の場合、神は自分の内部にいるというのだから驚いてしまう。

しかし、それが目的なら、わざわざ神社になど参る必要はない。神社ではないどこか静かな場所で瞑想でもすればいいのである。

 

江原は外部の神や仏を自分の守護霊のほかは信仰していないので、神社になど参る必要はない人間である。

神社に参るのは神社におられる神様に祈るために行くわけである。昔から人々はそうしてきた。

ぞれをしない神社参りは邪道である。

 

スピリチュアリズムは変な考えをたくさん若い人に植え付けてきたが、神社参りもそのひとつである。

今、神社参りが人気なのはスピ系の若い人たちが行くようになったからかもしれないが、今のブームは錯覚による作られたブームではなかろうか。

 

15年ほど前は神社はどこも閑古鳥が鳴いていたからずいぶん変わったものだと思う。