霊能力と超能力28

雨乞いの秘法

27回で真言密教の祈雨について書いた。

祈雨の修法は真言宗の開祖・空海神泉苑で披露した呪術である。

 

この雨乞いの法ができるという真言宗の僧が最近までいたというので、まだそういう人がいるのかとあきれてしまった。平安時代ならともかく、昭和になってもそういう人がいるとは想像もしていなかったからだ。

 

このエピソードは司馬遼太郎のエッセイ「京の亡霊」に出てくる(『司馬遼太郎が考えたこと2』)。

京都の東山に智積院というお寺がある。天井が高い大きな寺である。幕末期には7卿都落ちの舞台となった真言宗の寺である。

 

この寺に菊入頓如という僧がいた。司馬遼太郎とは旧知の仲だった。

司馬遼太郎は戦後、京都で産経新聞社に勤めていたが、その時に宗教界と大学を受け持っていたのだ。

 

この頓如さんは雨乞いの秘法を知っている唯一の人だと他の僧から言われた司馬遼太郎は、思わず「本当ですか」と懐疑的な言葉をはさんでしまった。

それに気を悪くした僧は、明日、雨を降らせてやるから注意して見ていろと捨て台詞を吐いた。

翌日、小雨が降ったそうだ。もっとも新聞ではその日の天気予報は雨だったそうだ。

 

昭和になってもまだ真言宗の僧は空海の伝統を守っていたのである。

司馬遼太郎の言わんとした「京の亡霊」とは空海の呪術がまだ戦後になっても生きていたということだった。

 

頓如さんが行を積んだ本物の霊能者なら雨を降らせることもできただろうが、残念ながらそれを調べることはさすがに調べ魔の司馬遼太郎も思いつかなかったようだ。

 

司馬遼太郎は近代的な史観の持ち主だと見られており、宗教には関心がなかったと思われがちだが、そうではない。小説では宗教はほとんど書いていないが、経歴から分かるように、意外と関心が深かった。

その関心はこのような短いエッセイに時々書き留められている。

 

 

 

 

 

霊能力と超能力27

祈雨

書店で本を物色していたら、『祈雨・宝珠・龍』という本を見つけた。著者はスティーヴン・トレイソンである。

パラパラと本を覗いてみて、興味を抱いたので購入しようかと思ったが、高かったのでやめた。どこか図書館で探してみよう。

本を見て、外国人研究者といえどもすごい人がいるものだと感心した。

 

祈雨というと空海が有名である。

京都に神泉苑という名所があるが、空海はここで祈雨の修法を行ったことが「弘法大師行状絵巻」などに出てくる。これは有名な話である。

 

空海が祈雨の修法を行うと、龍が出てきて雨を降らせたというのだが、私はこれは空海の霊能力によるものだと思っていた。

優れた霊能者は天候を変えることができると言われている。空海のこの能力はそのせいだと思っていたのだ。

 

しかし、祈雨の修法は密教の主要な経典に書かれており、空海はそれにしたがってこの修法を行ったようだということが、密教について調べていると分かってきた。

インドでは祈雨の修法がよく行われており、それが密教の経典に取り込まれたのだそうだ。

 

かつて農業国だった日本は、雨が降らないと農作物に影響するので大問題だった。そのせいか朝廷は大きな神社に雨乞いの祈祷の要請の使者をよく派遣していた。

そのために、雨を降らすことのできる霊能者はありがたがられた。

 

空海は雨だけでなく水に関係の深かった宗教家で、各地で水を出したという伝説が数多く伝わっている。

これは弘法水とか弘法の井戸などと呼ばれている。

私はそのひとつを京都の泉涌寺の塔頭で見たことがある。この寺は空海の開基である。

 

私自身は空海は雨を降らすことができただろうと思っている。

また水脈も分かり、掘れば水が出ることを民衆に教えることができただろうと思っている。

 

私の知っていた霊能者も水脈が分かった。それで井戸掘りを職業にしている人たちから重宝がられていた。

この人にできたのだから、この人が尊敬していた空海も当然できたに違いないと考えている。

この人はこの人が現れると天気が良くなるとも言われていたので、霊能者と天候の変化は関係があるようだ。

 

私は京都に住んでおり、神泉苑はわりと近いので、ウォーキングの時によくその前を通る。最近は外国人観光客が多い。

今はちいさな敷地でしかないが、平安時代は今の何倍も大きかったというから、かなり広大だったと思われる。

今は池の傍に真言宗の寺が立っており、当然のことながら弘法大師が祭られている。

 

霊能力と超能力26

余談 柳田國男の故郷 

 

24回の先祖霊の話で柳田國男の『先祖の話』を引用しました。

その柳田國男について個人的な思い出があります。

 

柳田は兵庫県の神崎郡福崎町の出身です。いわゆる播州と言われている地域で、播州平野のど真ん中です。

私がそのことを知ったのは40代になってからのことで、要があって柳田の著作を読み始めたときでした。

著作で柳田の出身地が福崎町だと知った時、ある種の感慨が湧いてきました。

 

この町は私の母親の故郷だったのです。

その関係で子供のころよくこの町に遊びに行っていたのですが、その頃はこの町が柳田の故郷だということは全く知りませんでした。柳田の名前も民俗学のことも知らなかったのですから当然です。

 

子どもの頃、私は夏に1か月近くこの町の母親の実家に滞在したこともありました。

幼い妹がいたうえに、母親は商売もしており、家事もこなしていたので、夏になると私と上の妹の世話までできなかったのでしょう。上の妹と私は母親の実家にロングステイさせられてしまったのです。

 

母親の実家は農家で、まだ義理の祖父が健在でした。

かなり大きな家で、母親の弟と末の妹がまだいましたが、農家ですから食料も豊富なうえに、空き部屋がいくつかありましたので、小さな甥と姪が長期間泊まっていても痛くもかゆくもなかったようです。かわいがってくれました。

 

当時、国鉄福崎駅で下車して、祖父の家まで歩いて行っていました。

駅の周りには店がほとんどなく、ましてや祖父の家のあった集落には店は全くありませんでした。

 

私が祖父の実家に長く滞在したのは昭和32年でした。このころはまだ日本には純然たる農村が残っていたのです。ほぼ自給自足に近い生活でした。

本当に田舎でした。私の住んでいた町はそれでも商店が並んでいましたので、駅の前ですら店がほとんどないこの町は本当に田舎だと思いました。世の中にはこんなにも田舎があるのかと子供心に驚きました。

 

昭和の戦後期ですらこのような状態でしたから、柳田國男が生活していた明治期はそれに輪をかけた田舎の農村だったことでしょう。そのような生活環境から柳田の民俗学が生まれたのは分かるような気がしました。

 

私は40代になってある原稿を書くために、柳田の記念館を訪れました。

約30年ぶりに福崎駅に降り立ったとき、なつかしさがこみあげてきましたが、駅の周辺はかなり近代化されていたので、昔の感じはなくなっていました。

 

柳田の記念館は駅の東側にあるのですが、私の母親の実家は西側にありますので、駅をはさんで正反対の場所にありました。それぞれ歩いて20、30分かかりますので、ふたつのエリアを東西に歩くと40、50分かかるでしょう。

 

柳田が「日本一小さな家」と呼んだ生家は、記念館の傍に保存されていました。

実際に見てみると、なるほど小さな家で、ここで両親と兄弟5人(だったと思う)が暮らしていたのかと想像すると、日本という国は誠に貧しかったのだと実感されました。明治人はその貧しさをバックに立ち上がっていったのです。

なにやら最後は司馬遼太郎のようになってまいました。

 

 

 

 

霊能力と超能力25

靖国神社

 

今年も8月15日がやってきた。

といっても私は戦後の生まれなので、終戦を経験したわけではない。

終戦といえば思い出すのが靖国神社である。

 

私が靖国神社に関心を持つようになったのは、維新の歴史と戦前の昭和の歴史を調べていた時だった。

靖国神社は維新の時代にルーツがあり、それ以後の戦争で死んだ戦死者の霊を祭っているからだ。

 

私が靖国神社に関心を持つようになったもうひとつの理由は、神社の歴史を調べていたためだ。

神社に関心がないときは、日本の神社はどれも同じに見えた。だが調べ始めてみると、日本の神社は創建時も祭神も歴史も多様で、とてもひとくくりにはできない。

こういったことが少し分かってくると、日本の神社は明治以降に作られた神社が意外に多いことに気が付いた。

靖国神社はそのひとつだが、中でもかなり特殊である。

 

私は20年ほど前に東京に住んでいたことがある。その頃は宗教にも神社にも全く関心がなかったので、靖国神社が何でありどこにあるのかさえ知らなかったが、関心を持ち始めてから一度だけ東京に行ったときに見学してみたことがある。

行ってみていろんな意味で驚いたが、非常に違和感を感じたことは確かである。

 

靖国神社が神社としていかに特殊であるかをここで詳しく書くことはできないが、ひとつだけ取り上げてみると、この神社は天皇のために死んだ人々を集団で祭る施設だということである。

祀られているのは戦争で死んだ国民である。これらの人びとは戦争で死ななければ神として祀られることなど決してなかった人たちであり、本来なら名もなき庶民として、自分の家で仏様として祀られている人びとである。

 

靖国神社ができるまで、日本の神社は名もなき庶民を神様として祀ることはなかった。

ここにこの神社の特殊性のひとつがある。

 

靖国神社については多くのことが論じられている。この神社を存続させ、ここに首相や閣僚が参拝することは問題だと私は考えているが、そのことにここでは触れない。

 

ここでは靖国神社について考えていることをひとつだけ書いてみたい。

天皇のため、国のために戦争で死んだ人々が靖国神社で神として祀られている。そのためには招魂と慰霊という特殊な儀式が行われるのだが、それは今でも戦死者の霊が存在していると想定されているから行われているのだろう。

 

しかし、戦死者の霊はその多くがすでに生まれ変わっているとすればどうだろうか? 

いくら招魂しても霊が戻ってこなければ意味はないのではなかろうか? 神社はもぬけの殻であり、儀式はただのパフォーマンスにすぎない。

 

なぜ私がこのようなことを考えているのかというと、私の知っていた霊能者が、1995年ごろ盛んに戦後50年たったので多くの戦争で亡くなった霊が生まれ変わろうとしていると言っていたのを不思議に思ったからだ。

おかしなことを言う人だと思ったが、同じことを他の霊能者も言っていることを知って、もしかっするとこういうことがありうるのかもしれないと思ったことがきっかけだった。

 

これは再生の問題とも関係するのだが、まっとうな死ではなく外部の力によって不本意な死を強いられた人々はすぐ生まれ変わるというのだ。

戦死者の場合はそのケースに当たるのである。

 

靖国神社についこのようなことを言った人はいないのではなかろうか?

 

も戦死者の霊がすでのその多くが生まれ変わっているのなら、靖国神社はいったい何のために存続しているのだろうか。

 

私は魂の再生の問題に興味を持っているので、先祖の霊についてもこの点から書いてみたのだが、靖国神社についてもこの点から考えてみた。

 

 

 

 

霊能力と超能力24

余談 お盆と先祖霊

 

お盆になった。

私もお墓参りに出かける。実家はかなり離れた町にあるので、電車に乗って出かけなければならない。

最近は実家に住んでいる人が少なくなったので、お墓参りに出かけられない人が増えており、お墓の後始末といったことも問題になっている。

 

お盆が来るたびに、先祖霊って不思議なものだと思う。

私が記憶しているのは祖父までで、その以前の直系の人は名前を知らない。私の実家のような名もなき貧民の家には、家系図というような御大層なものは残っていないので、先祖と言われても誰のことなのか分からないのだ。

 

しかし、仏壇には私の姓の書かれた家の位牌があり、お墓にもその名を刻んだ石碑がある。

だが、私はお墓参りをするとき、亡くなった母親と記憶している子供のころに亡くなった祖父の霊に参っている感覚でいる。

先祖霊に参っているという意識は乏しい。

 

私は長男なので、子供のころから両親によく先祖のことや家のことを言われたが、先祖と言われてもいったい誰なのか分からないのだから困った。

 

この問題は家と霊について少し知識が増えてくると漠然とだが分かってきた。

 

先祖霊というのは集合霊である。私の家のように始祖が不明な場合、決して始祖を祭っているのではない。

先祖霊というのは、代々の直系の人たちの霊をまとめて祭っている架空の装置なのだろう。

なぜこのようなものを作り出したのかというと、家が関係しているからである。家と財産を継承するためには、それを象徴するものが必要になる。先祖霊はその代表的なものである。

 

家というのは中世に発生した人間の血縁集団の制度であり、それ以前からあったものではない。

家の相続が重大問題だったのは、農業国だった日本では、田畑や財産などを継承することが必要だった。それを受け継ぎ家を守っていくには後継者が必要で、その役割を担ったのは長男だった。

 

しかし、私の実家のように農業をしておらず、財産もないような家では、継承すべきものはボロ屋の他はほとんどない。

継承の必要はなくなり、長男の価値も低下してしまった。家という度は崩壊してしまったのだ。

こういう状況になると、先祖霊もあまり価値がなくなってしまうだろう。

 

霊について考えていると、先祖霊はフィクションであることがさらによく分かってきた。

霊は再生するとすると、ご先祖様のそれぞれの霊は数百年するとこの世に生まれ変わっているわけである。

すると完全な集合霊というものは本来ありえないことになる。

それに霊は個的なもので決して集合霊ではないとすれば、先祖霊は成り立たないことになる。

 

昔の日本人はこういったことを考えなかったのだろうか。だだが先祖霊を信じながら、一方で生まれ変わりということは言っていたのである。再生を決して否定していたのではない。

 

民俗学の始祖、柳田國男は『先祖の話』という本を書いた。柳田はこの本で、私のこの疑問に少しだけ触れている。

柳田は、日本人は死後ある期間再生しなかった霊が先祖としてあの世にとどまると考えていたのだろうと言っている。

しかし説得力に乏しい。

柳田は霊についてよく考えていたとは思えない。

 

先祖のことは今の人はあまり意識しなくなってしまったようだが、考えてみると分からないことばかりで、面白いテーマである。

 

お盆が来ると、お墓詣りに出かける電車の中でいつもこういったことを考えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

霊能力と超能力23

神社と霊能者

 

神社について何回か書きましたので、最後に神社には本当に神様がおられるのかについて私の体験を書きます。

 

私はある霊能者に出会うまで神様はいないと思っていました。

これでもかつてはインテリの端くれでしたので(今はただのおじさんです)、神様なんて馬鹿にしていたのです。

何しろこの人種はうぬぼれと偏見が強く、自分の考えが正しいと思っていますから、見えないものは存在しない、科学的に証明できないものは存在しないと考える傾向があります。

よくテレビの霊能番組に出てくる元早稲田大学教授の大槻義彦氏などはその典型です。もっとも大槻氏は多分に反オカルト学者を演じているところがあります。テレビは本当に信用できません。

 

私は40を過ぎるまで神様にも宗教にも関心がなかったのですが、ある霊能者に出会い、その言動を観察しているうちに、神様はいるようだと思うようになりました。

もっともこの神様がどのような神様なのかは問題なのですが、ここではそのことには触れません。

 

霊能者に誘われてある神社によく参るようになったのですが、神社には神様がおられることが間接的に感じられるようになったのです。

なにしろこの人は神様の言葉が聞こえるのですから、その言葉をこの人から聞くと、神様の存在が感じられるのです。言っていることが本当なので、そう思われてくるのです。

 

神社で霊能者はごく当たり前のように神様の言葉を伝えてくれました。それに不思議なことがたくさん起きました。

ここでは具体的な実例は書きませんが、そういうことを常に見聞していると、神社には神様がおられ、そのことが分かるのは霊能力がある人だけなのだということが分かってきました。

 

ですから神社に参ることの本当の意味は、神様の言葉直接聞くことだと私は思っています。ご利益を受けることでは決してありません。

しかしこれが実際にできる人はほとんどいないでしょう。

 

では全国に無数に存在する神社にはすべて神様はおられるのでしょうか。

どうもそうではないようです。

というのは、私の知っていた霊能者は、この神社にはもう神様はおられませんと言ったことがあるからです。

本当の霊能者なら神社に神様がおられうかどうかも分かるようです。

 

神様のおられない神社はただの建物、もぬけの殻にすぎません。

ただの建物に参っているのは習慣にすぎません。でもそのような人は多いのではないのでしょうか。

 

神社の意味を考えると面白いことがたくさんあります。

一度なぜ神社に参るのか考えてみるといいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

霊能力と超能力22

再びスピ馬鹿について

 

19回でスピリチュアル馬鹿について書いたが、再び取り上げる。

 

最近、『京都でひっそりスピリチュアル』という本が出た。

本は読んでいないが、新聞で広告を見て、またひとり馬鹿が現れたと思った。

 

私はスピリチュアル馬鹿を省略してスピ馬鹿と呼んでいる。スピリチュアルにはまっている人がスピ系と呼ばれているのに倣ったものだ。

 

スピ馬鹿の特徴は、江原の説くスピリチュアリズムを疑いもせず無邪気に信じていることだ。

スピリチュアルは何かちょっといいことがあるといった意味で単純に受け取っている人が多いように感じる。

こういった人たちはおそらくそういった感覚で神社に参っているのだろう。

 

スピ馬鹿の元締めは江原である。

江原のスピリチュアリズムはほとんど嘘である。

江原の本を読んでいると、よくここまで嘘が書けるものだと呆れてしまう。江原の考えの何が嘘かは、書き始めると本一冊になってしまうのでここでは書けないが、スピ馬鹿たちは親分の嘘を微塵も疑わずに信じているのだからつける薬はない。馬鹿につける薬がないのと同じだ。